500°C で連続稼働する HEPA フィルターは、自分自身が下流に何かを「吐き出す」のか?哲学問題ではない、半導体業界の現実問題。
なぜこの試験が必要か
耐熱 HEPA フィルターの用途は、ほぼすべて「下流に非常に敏感な対象」がある:
- ▸半導体オーブン排気(ASHER、ベークオーブン) — 排気は最終的に廠務処理に行くが、フィルター自身が高温で化学物を放出すれば、リサイクル空気や下流装置に影響
- ▸CVD / ALD プロセス排気 — プロセスチャンバー後段の耐熱フィルター、下流はスクラバーや排煙塔
- ▸熱処理炉の浄化 — 半導体パッケージング、パネル焼結
- ▸核施設排気 — BIBO システムの耐熱変種、下流は大気そのもの
共通点:フィルターは粉塵を遮るだけでなく、自身の「清浄度」も仕様の一部。これが「発生ガス試験(outgassing test)」が必要な理由 — 耐熱環境にフィルターを置き、目標温度で運転、上下流空気を採取して下流に余計な物が増えていないかを確認。
試験条件
日本無機(NIPPON MUKI)は ATMWC-20-P-F(500°C 耐熱 HEPA)に対し完全な発生ガス試験を実施。試験フィルター仕様:
| 項目 | 規格 |
|---|---|
| 形式 | ATMWC-20-P-F |
| 寸法 | 610 × 610 × 290 mm |
| 風量 | 20 m³/min |
| 圧力損失 | 245 Pa |
| 捕集効率 | 99.97% @ 0.3 μm |
| 常時最高使用温度 | 500°C |
| フレーム | 特殊ステンレス |
| ろ材 | ガラス繊維 |
| シール剤 | ガラス繊維 |
| セパレータ | 特殊ステンレス |
| ガスケット | ガラス繊維 |
重要な前処理:試験前に「150°C ⇔ 500°C × 10 サイクル」の熱循環予処理を実施。これは現場でしばらく運転後の「定常状態」をシミュレート。新品で測ると初期の揮発が多すぎて実使用の数値を過大評価する。10 サイクル後に短寿命揮発物はほぼ抜けており、残るのが「長期安定放出」分 — 採購評価に有用。
加熱と採取方式:
図1:500°C 発生ガス試験 — 装置と加熱曲線
フィルターを 150°C ⇔ 500°C × 10 サイクル「予烤」後、耐熱トンネルに装着し 500°C で 24 時間保持しつつ上下流を同時採取
採取方法:上下流の空気をそれぞれ超純水を満たしたインピンジャーに 24 時間通気、イオン・金属を吸収。イオンは IC(イオンクロマト)、金属は ICP-MS で分析。定量下限は 1–12 μg/m³。
全試験は約 33 時間(昇温 1 h + 保持 24 h + 降温 8 h)。500°C で 24 時間が実際の採取窓。上下流空気をそれぞれ超純水を満たしたインピンジャーに通気し、気相のイオン・金属を液相に捕集:
- ▸イオンクロマト(IC) — 陰陽イオン分析
- ▸ICP-MS — 金属分析
結果:8 成分のうち 1 つのみ検出
完全な測定結果:
図2:8 成分の上下流濃度と発生量
全イオン(酸、有機酸、塩基)の下流濃度は定量下限以下 — 検出されたのは金属ホウ素(B)のみ、下流 783 vs 上流 719、正味 64 μg/m³ の放出
| 区分 | 成分 | LOD | 上流 | 下流 | 発生量 (Δ) |
|---|---|---|---|---|---|
| イオン | NO₂⁻ | 1 | <1 | <1 | なし |
| NO₃⁻ | 3 | <3 | <3 | なし | |
| SO₄²⁻ | 4 | <4 | <4 | なし | |
| CH₃COO⁻ | 12 | <12 | <12 | なし | |
| CHOO⁻ | 3 | 10 | 6 | なし | |
| NH₄⁺ | 2 | <2 | <2 | なし | |
| 金属 | B(ホウ素) | 2 | 719 | 783 | +64 |
| P(リン) | 4 | <4 | <4 | なし |
ガラス繊維(HEPA 標準メディア)は 5–15% の酸化ホウ素(B₂O₃)をガラス改質剤として含む。500°C 持続加熱で B₂O₃ が気相のホウ素化合物(HBO₂、B(OH)₃)として微量揮発。Na、K、Ca、Mg 等他成分は融点が遥かに高く、500°C では動かない。本報告は「ガラス繊維 HEPA の 500°C で唯一注意すべきはホウ素」という実証データ。
「<」は定量下限(LOD)以下を意味、ゼロではないが正確な定量不可。CHOO⁻(ギ酸)は上流 10 / 下流 6 で下流が低く発生なし(フィルターが微量吸着)。NH₄⁺ も <2 で塩基類の放出なし。
7 成分(6 イオン + リン)は下流ですべて定量下限以下 — 実質的に発生なし。CHOO⁻(ギ酸)は下流のほうが上流より低く、フィルターが微量吸着 — 化学的に良い兆候。
検出されたのは金属ホウ素(B)のみ:上流 719 μg/m³、下流 783 μg/m³、ネット +64 μg/m³ をフィルターが寄与。
上流ベースラインが高い(719 μg/m³)のは、試験装置自体(耐熱トンネル、ヒーター、配管)に微量ホウ素を含むため(ステンレスや絶縁材料)、加えて実験室環境の背景。重要なのは下流から上流を引いた差で、それがフィルターの寄与。
なぜホウ素だけか
意外ではない。順を追って説明。
HEPA ガラス繊維メディアに含まれるもの
HEPA / ULPA の標準メディアは「マイクログラスファイバー」。一般 E-glass 配方(重量%):
- ▸SiO₂(シリカ)— 52–56%
- ▸CaO(酸化カルシウム)— 16–25%
- ▸Al₂O₃(アルミナ)— 12–16%
- ▸B₂O₃(酸化ホウ素)— 5–10% ← 該当
- ▸MgO、Na₂O、K₂O — 微量
B₂O₃ はガラス改質剤:融点と熱膨張係数を下げ、ガラスを極細繊維に引きやすくする(マイクロガラス HEPA の根幹技術)。B₂O₃ なしでは 1 μm 以下の繊維径は実現困難。
しかし B₂O₃ は高温で「揮発」する
問題はここ。B₂O₃ はガラスの固体成分だが、450°C 以上で環境中の水蒸気と反応:
- ▸B₂O₃ + 3 H₂O → 2 B(OH)₃(ホウ酸、気相)
- ▸B₂O₃ + H₂O → 2 HBO₂(メタホウ酸、気相)
これら気相ホウ素化合物が、本実験で検出された下流 +64 μg/m³ の正体。他のガラス成分(Na、K、Ca、Mg、Si、Al)は融点が 500°C より遥かに高く揮発しない。
平易な比喩:B₂O₃ はガラス中で最も「揮発しやすい」成分 — クレームブリュレの砂糖のように、温度を上げると最初に煙る。他成分はデンプンのように、もっと高温でないと動かない。
64 μg/m³ は深刻か
比較対象次第。
一般工業排気(HVAC、排ガス処理、実験室換気)にとって、64 μg/m³ のホウ素放出は完全に無視できる。
半導体業界にとっては要注意:
図3:ホウ素の発生源・影響・対策
ガラス繊維 HEPA は 500°C で微量ホウ素を放出 — 半導体 P 型ドーピングの世界では ppt 級の警戒ライン
半導体業界は通常、空気中総ホウ素 < 100 pg/m³(ピコグラム)を要求 — 本実験の検出量の 1/10,000。高温排気用途(ASHER オーブン、CVD 排気等)でガラス繊維 HEPA を使う場合、ホウ素放出がクリーンエリアに循環する可能性を要評価。
ホウ素はシリコン半導体最常用の P 型ドーパント。シリコン格子内のホウ素原子は「正孔」を提供し導電性を変える。10¹⁵ 原子/cm³(約 50 ppt)程度のドーピングで半導体タイプが反転する。
つまり:先端ノード fab では、空気中総ホウ素を 100 pg/m³(ピコグラム)以下に制御する必要 — 本試験測定値の約 1/10,000。
言い換えれば、64 μg/m³ は一般用途には無関係、先端 fab 潔浄区にとっては「絶対に近づけられない」数字。
採購者にとっての示唆
このレポートは 3 層のメッセージを伝える:
第 1 層:エンジニアへの安心材料
ほとんどの非半導体耐熱用途(実験室換気、製薬オーブン、食品乾燥、塗装ライン排気)に対し、本データは:500°C 連続運転のガラス繊維 HEPA はいかなるイオン汚染も放出しない — 酸(NO₃⁻、SO₄²⁻)なし、有機酸(CH₃COO⁻、CHOO⁻)なし、塩基(NH₄⁺)なし、リン(P)なし。定常状態で「清浄」。
第 2 層:半導体ユーザーへの警告
半導体前段プロセスのエンジニアであれば、本データは:ガラス繊維 HEPA はクリーン区にリサイクルする可能性のある高温経路で直接使用不可。緩和策:
- ▸PTFE 膜メディアに変更(ガラスなし、ホウ素なし)
- ▸ホウ素フリーガラス繊維に変更(E-CR、ECR 配方)
- ▸下流ケミカルフィルターを追加し気相ホウ素を吸着
- ▸採購前にサプライヤーに outgassing 試験報告を要求(バーンインの実施有無も確認)
第 3 層:選定の心構え
耐熱 HEPA を選ぶときに「捕集効率 99.97%」だけ見てはいけない。自身の清浄度(outgassing 等級)が用途によっては効率より重要。購入前にサプライヤーに尋ねるべきこと:
- 1ガラス配方に B₂O₃ を含むか?
- 2完全な outgassing 試験は実施済みか?どのイオン、どの金属を測ったか?
- 3バーンインは何サイクル、何度で実施したか?
- 4出荷前に残揮発物検査はあるか?
答えられないサプライヤーは再考が必要。
よくある質問
Q:「上流 719 μg/m³」のホウ素背景は正常か?
A:高めだが意外ではない。試験装置自体(耐熱トンネル、ヒーター、配管)が微量ホウ素を含む可能性(ステンレスや絶縁材料)、加えて実験室環境の背景。だからこそ「下流 - 上流 = 64 μg/m³」の差を見る — それがフィルターの寄与。
Q:なぜ試験前に 150°C ⇔ 500°C × 10 サイクルの予処理が必要か?
A:現場稼働後の「定常状態」をシミュレートするため。新品は初回昇温で揮発物(製造残留、易動分子)を最も多く放出する。新品で試験すれば長期使用の放出量を過大評価。10 サイクル後に短寿命揮発はほぼ排出され、残るのが「長期安定放出」 — 採購評価により有用。
Q:CHOO⁻(ギ酸)はなぜ下流が上流より低いか?
A:フィルターが微量吸着している証拠。ガラス繊維表面のシラノール基(Si-OH)が極性有機分子と水素結合 — 物理吸着。HEPA の設計目的ではないが、この細部から「フィルターは 500°C で『壊れて』勝手に放出開始していない、むしろ吸着能を保持」と読み取れる。
Q:ATMWC 以外に MUKI の耐熱 HEPA はあるか?
A:日本無機の耐熱 HEPA シリーズは温度別に分類:250°C、400°C、500°C、800°C 帯。本記事の ATMWC は 500°C 級。耐温が高いほど枠材は特殊化(一般ステンレス → 耐熱合金 → セラミック)し価格も上昇。最高使用温度(突発含む)で選定、平均ではない。
Q:UL900 防火認証 と本耐熱試験は同じか?
A:違う。UL900 は「常温 HVAC ダクトでの火炎伝播・発煙」試験で、建物火災時の延焼が関心。耐熱 HEPA は「設計上高温で動作する」フィルターで元々熱源近傍、EN 1822 / JIS 等の濾効規格 + 材料耐温等級で規定。問題の次元が異なる。
関連規格・背景
- ▸EN 1822 — HEPA / ULPA 効率分級(H10–H14、U15–U17)
- ▸ISO 29463 — EN 1822 国際版
- ▸JIS B 9901 / B 8330 — フィルター試験法
- ▸SEMI F21 — ガス状分子汚染(AMC)分類、ドーパント類含む
- ▸ASHRAE 145.2 — ケミカルフィルター効率試験法(「下流ケミカルフィルター」評価に有用)



